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フクシマ〜ひとりの農家として

2011.4.7

原発はエネルギー問題も、温暖化問題も悪化させる!

 私は北海道に住む、小さな自然農園を営む者です。

 今、こうして学生時代の23年前から学んできた記憶を再び呼び戻さなくてはいけなくなったのは、東日本大震災の津波が引き金となって起きた「フクシマ」原子力発電所(以下、原発)の大事故をリアルタイムで体験しているからです。
 すでに多くの方々がマスコミを通じて得ている政府や東京電力などからの情報に、疑問を抱いていることと思います。この疑問を感じる多くの情報は、とくに東京を中心とした大都会にパニックを起こさせないことと、海外に対していかに事故を過少評価させるかということ、この2点に強く重心を置いているがゆえの情報発信、報道姿勢と思われます。
 その賛否については、それぞれにご意見があろうかと思いますが、私たちが直面しているのは、半永久的に放射能被曝を受け続けるという現実です。そしてその汚染された大地をそのまま私たちの子供やその子孫たちに受け渡していかなければならないという現実です。
 この事態に直面してなお、この現実から目をそむけるようなことは、あってはならないのです。



 現在、「フクシマ」で起きている原発事故と、それにともなう放射能の拡散は、原発をスタートさせた数十年前から、すでに多くの科学者や、現場に関わってきた人たちによって想定され、警告されてきました。しかしながら、その心ある声は無視され、時に権力という暴力によって抑えられてきました。
原発はそもそも、原子力爆弾製造の副産物であり、その軍事的必要性という性格から、経済性は重視されませんでした。膨大な石油の投入によって、ウラン採掘から、運搬、精製、原発建築、運転、そして何百年にも渡る使用済み核燃料の隔離保管を維持しようというのですから、これはそもそもエネルギー問題とは無関係ですし、経済性も無視していると思われても仕方ないのです。
 さらに付け加えれば、原発で発生する熱量の約3分の2は廃熱として海へ捨てられていますし、上記のような石油無しでやっていけない体質からも、温暖化対策に寄与しているどころか、温暖化を加速させるものでしかありません。
また、火力や水力、太陽光発電などのように、発電出力が自由に調整できるものと違い、原発は核分裂という極めて危険な反応エネルギーを利用しているがゆえに、出力調整が困難で、その副産物として電気温水器などのお得な夜間電力などのサービスが登場したのですから、「原発は日本の電力の3分の1をまかなっています」というよりは、出力調整困難な原発自身のせいで、火力水力を停止して「3分の1」にせざるを得ないというだけです。
 いずれにせよ、エネルギー不足問題や、地球温暖化問題に対して、原発の存在は無力…いや、むしろ悪化させるだけの存在です。

 そうであるのに、なぜここまで原発を強力に推進してきたかというと、1機建てるだけで数千億円以上のカネが動き、また、運転や半永久的に管理していかねばならない放射性廃棄物が、あらたなカネを生んでいくからです。
 そのカネに群がる権力構造が、今、進行している「フクシマ」原発事故の情報や、その報道姿勢に表れているといってよいと思います。

 そんな中で、次々と発表されている、放射能汚染。
 2011年4月5日時点で、北は青森、南は島根あたりまで、そして中華人民共和国においても微量放射能を検出しているようです。
 そもそも、3月12日の原発爆発以後、次々に起きた事故の連鎖によって、「フクシマ」は人類史上未曾有の事態に発展しています。
 とくに第1原発2号機における圧力抑制室の爆発破損は、永続的な放射能漏れを決定的なものにしてしまいました。現在、どの原子炉に水は投入されているようですが、底がぬけている原発に水を入れれば入れただけ、放射能を含んだ水が吐き出されます。それが海近くのコンクリートのヒビ割れから噴出しているようですが、仮にこれを止められたとしても、その止めた水の流れる方向が変わり、逆に原発施設内に溢れて、復旧作業を妨げることにならないかと心配しています。
 現在の「フクシマ」は、冷やせば漏れる、漏れを止めれば冷やせない、という状況に追い詰められているはずで、これはチェルノブイリでも、スリーマイルでも体験しなかった、最悪の事態に直面しています。この打開策は、素人の私には想像もつきません。。。これは今まで原発を作り、運転してきた人たちや、人類の叡智を結集して、事故処理を無事に終息していただけることを祈るしかありません。

放射能汚染作物の購買運動は未来のためにならない!

 私が今、ひとりの農業者として最も気になっているのは、食の安全についてです。
 現時点で、福島県や茨城県を中心に、放射能に汚染された野菜や畜産、海産物が問題になっています。このことについて、風評被害から守るために買ってあげて応援しよう、という消費者の動きが拡大しています。しかし、私は、1農業者の立場としても、1消費者の立場としても、これは断固反対の立場にいます。
 気持ちはじゅうぶん過ぎるくらい解ります。まして、今まで代々農業を営み、その大地の土と向き合って生きてきた農家の気持ちを思うと涙が出ます。けれども、政府の発表している「安全基準」を信用してはいけませんし、今、放射能汚染食品を「買ってあげる」ことは、放射能の汚染大地で働く人を生み、被害を受ける消費者を拡大し、また、政府や東京電力の責任をウヤムヤにしてしまうだけです。

たとえば平成10年の「厚労省のホームページ」の記録に、「ポーランド及びウクライナ産ベリー類の濃縮加工品の放射能検査の実施について」の文書があります。その中に、

検査結果:放射能濃度(セシウム134及びセシウム137の合計)440 Bq/kg

との記述が存在します。
これはつまり、国の輸入規制基準「370ベクレル」を上回ったことにより、輸入制限の対象となったことを意味します。25年前のチェルノブイリ原発事故の影響が今なお、ロシアやヨーロッパに深い傷跡を残しているのです。
 この「370ベクレル」という数字と比較しても、以下の「飲食物摂取制限に関する指標」という暫定基準値の表の数値が、いかに高いかがわかります。海外から来るものは370ベクレルでもダメで、国内産では2000ベクレルでも安全、という論理が通るはずがありません。原発事故による農畜海産物の汚染や、この無茶な安全論理は、いずれTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)の関わりの中でも、極めて不利な状況を生むことは間違いありません。
まして、飲料水における放射線ヨウ素131(131I)はWHOの基準では1リットル当たり10ベクレルですので、300ベクレル/リットル(乳幼児は100ベクレル/リットル)を安全だと発表する政府の意図が健康とは無関係であることは明白です。



私たちの生き方が問われている!

 私たちが今、考えなければならないのは、今回の広い意味で「東日本大震災」からの復興にほかならないのですが、地震と津波による被害を受けた方々をも含め、日本全体、引いては世界を巻き込んで被害を及ぼす「フクシマ」をいかに乗り越えていくかということです。
 「フクシマ」の終息には、数十年以上の年月が必要でしょう。その間、おそらくは今年から、急激に日本経済は冷え込み、今まで築いてきた多くのものをニッポンは失うでしょう。そして、拡大する放射能汚染によって、長期間に渡る低線量被曝による健康被害が静かに進行していきます。
 この事態について、特定の誰かを吊るし上げて、責任を追及することに、私はあまり意味を感じなくなっています。原発事故の規模があまりにも大きいこと、そして、目に見えない低線量放射線による長期被曝の影響の責任を明確にすることが著しく困難であること、もありますが、そういうこと以上に、これは人類始まって以来の危機であり、個の責任を問うような質感ではなく、全人類が責任を負うべき事態であると思うからです。
 この「東日本大震災」と「フクシマ」の大事故が起きる3月11日の少し前、あまり注目されないまま、以下の報道が流れました。

「もんじゅ」回収担当課長自殺  原子力機構、中継装置落下担う
(2011年2月23日午前7時47分)

この報道は、プルトニウムを燃料とした高速増殖炉「もんじゅ」の原子炉に、3.3トンもある中継装置が落下した事故で、その回収を担当していた課長が自殺したのです。
 「もんじゅ」は空気に触れただけで爆発するナトリウムを冷却材として使用し、その燃料が猛毒のプルトニウム(半減期2万4000年)、その原子炉内に3.3トンもの中継装置が落下し、透明ではないナトリウムによって、どこにあるかも判らない状況なのです。その引き上げ作業を二十数回トライして失敗している中での「自殺」です。
 「もんじゅ」においては、「落下物を取り出せない」「冷却材のナトリウムを抜くこともできない」「燃料のプルトニウムも取り出せない」「燃料に損傷があるのかどうかも判らない」という状況で、その構造上の性格から、もし今、地震があれば、「フクシマ」とは比較にならない大惨事となります。

 このようなことが次々と起きている中で、私たちは無関心でいて良いはずがないのです。
 「フクシマ」は数十年間は終息しません。いつ、放射能漏れを止められるかのメドも現時点ではまったくありません。海だけでなく、大気にも今なお放出し続けています。
そして「フクシマ」と同じことが起きる可能性がある原発が、日本で五十数機、世界で四百数十機、稼動しているのです。
 もちろん、政策的に推進してきた政府や、運営してきた電力会社には、重大な責任があります。しかし、彼ら自身、すでにその方向転換をする力もないのです。そしてそれを許してきた私たちにも重い責任があると思います。これは、一個人や、一企業の責任を追及するような形で解決できる次元の話ではなく、私たちひとりひとりが、これからどのように生きていこうとしているのかを問われているのです。
私たちは、現実から目をそらさず、現実を乗り越えていくためにも、強い意思表示をし、行動していかなければなりません。

【kazu】
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